ライフスタイル・ルポ●第1回 井上さん
特定非営利活動法人 北海道福祉住環境を研究する会 理事長
井上 雅世 さん
意志の疎通を図ること、そして特別ではないと自然に思えること。住まいづくりも地域も、そこに本当の“バリアフリー”が生まれる。
障害者の住宅改修をアドバイス
「福祉住環境コーディネーター」
 出入口・通路の段差をなくすなど、高齢者や障害を持つ人の移動・日常活動に支障がないように配慮するバリアフリー。最近は、子どもを含むあらゆる人たちの使いやすさを考えたユニバーサルデザインという考え方も、生活用品から住宅、公共施設などをつくる際に採り入れられるようになってきた。
「高齢の方や障害を持つ方々が使いやすいモノ、場所は誰にでも使いやすい。そんな視点が根づきつつあるのは良いことだと思いますが、特に住宅の改修を行う際には、そこで生活する方の個別性、必要な内容をきちんと理解し、実情に応じた工事がなされないと、形はできても役に立たないということになりかねないんです」
 平成12年にスタートした介護保険制度で、手すりの設置など生活に必要な工事の一部が保険で賄えることになった。その工事自体は、建築の知識・技術さえあればできるが、高齢者や障害者の特性やニーズを知らなければ的確なものはつくれない。そこで、建築とともに医療や福祉に関する知識を持ち、工務店や、介護計画をつくるケアマネジャーなどと連携しながら住環境整備についてアドバイスできる専門家として、福祉住環境コーディネーターという資格が創設された。
 東京商工会議所が実施するこの検定資格の合格者などが集まって平成13年に設立された『NPO法人 北海道福祉住環境を研究する会』(略称『きたふく』)。住環境整備に関わる人たちの連携を深め、住み慣れた地域で安心して暮らしていきたいという思いを叶えるための、各方面との橋渡し役となることを目的としている。理事長を務める井上雅世さんは、住宅におけるバリアフリー、ユニバーサルデザインを考える際、何よりも大事なのが当事者との意志疎通と、既存の建築の常識にとらわれない工夫やアイデアだと話す。
運動機能や特性への知識をもとに
アイデアのヒントをくれるOT、PT
「私のいとこは車椅子を使って生活していますが、自動車で通勤し、車庫から玄関まではつかまりながら何とか歩けます。そして常日ごろからそれを見ていた伯父がある日、転倒しては大変だからと手すりを付ける話を進めたんですね。ところが、いとこは“自分は今のままで問題ないと思っているのに、どうして特別扱いするのか”と怒ってしまって。結局、どうしても必要になった時に考えようということで取り止めたんですが、本人の意志がその計画にはまったく入っていなかったことがトラブルの原因だったわけです」
 障害の種類や程度に合わせた住宅のつくりや設備を想定することはできる。しかし、当事者はどう感じているのか、何を必要としているかを知り、納得してもらえなければ、使えない仕様、使わない設備になってしまうことも多い。そうしてタオル掛けへと役割を変える手すりも少なくないのだと井上さん。
「同じ家族の中でも、こんなふうに見方も意見も違います。ですから、まずご家族でよく話合って欲しいと思いますが、住宅改修の計画を具体化する段階では、障害の身体的特徴に詳しい専門家のアドバイスを受けることをお勧めします」
 障害を持つ人の住宅改修に際しての心強いアドバイザーとして井上さんが挙げるのが理学療法士(PT)や作業療法士(OT)だ。アプローチは異なるものの、いずれも機能回復や日常生活の維持を目的としたリハビリテーションの専門家だけに、障害者の運動機能やその特性に詳しい。そこから、建築の専門家には持ちえない工夫や、問題解決のための発想を示してもらえるのだという。
「あるお宅で、作業療法士の方が、車椅子の方が自分でトイレを使えるよう、便器に沿う形の腰掛け台の設置を提案されたんです。車椅子での利用というと、すぐにスペースを広くすることを考えがちですが、これなら車椅子を降りて座りながら移動できるので、拡幅工事は必要ない。つまり、コストも少なくて済むわけですね」
 費用さえかければ、良いもの、使いやすいものはできる。けれども、アイデア次第では少ない予算でも必要な機能を持たせることが可能になる。車椅子に腰かけたままでは届かない、上げ下げ式の水栓レバー。建築的な解決方法はごく簡単、水栓の交換となるが、そのレバーにバーを付ければ届くのではないかというのが、こうした専門家の発想。困っていることが、大きな費用をかけずに解決できる。これもひとつの“バリアフリー”ではないかと井上さん。
 理学療法士、作業療法士の多くは医療機関や施設に勤務しているため、リハビリテーションなどで付き合いがなければ、出会う機会はあまりないのが現状だ。ただ、たとえば札幌の場合なら、市が運営する札幌市身体障害者福祉センターにこうした専門家が常駐し、市の窓口に相談すれば住宅改修の相談などにものってくれる。
「お住まいの市町村の福祉関連の窓口に、まずは聞いてみると良いと思います。それと、私たちの団体もそうですが、福祉住環境コーディネーターの役割自体がそもそも、こうした関係者とのネットワークづくり。有資格者による全国組織もありますので、ぜひ、声をかけて欲しいですね」
“特別視”という心のバリアをなくし
参加できるコミュニティが理想像
 最近、主に公共施設などで“多目的トイレ”という名称のトイレが目に付くようになってきた。従来みられた身障者用トイレなど、利用目的を半ば限定したものではなく、文字通り多目的に、誰でもが使えるトイレだ。車椅子に対応した便器や、オムツ代えができる台、子ども用の小さな便器等々、あらゆる人が使えるように考えられており、なかには男女の区別もないトイレさえ登場している。
「高齢者や障害を持つ方、赤ちゃんのいるお母さんだけでなく、広く開放されたトイレというのがその主旨ですが、実際には、一般の人にはあまり利用されていないようです。恐らく、特別な人が使うトイレという認識があるのではないでしょうか。差別ということではないにせよ、これはもう一つのバリア----心のバリアだと思うんですね」
 そうした気持ち、障害者や高齢者はちょっと特別な存在で、だから何ごとも優先させ、手助けしなくてはならないという意識をもって接することが、皮肉にも本当に必要とするサポートをできなくしている。住宅改修でも、形はできても使いづらい、そんな結果を招きやすい原因はそこにもあると井上さんは言う。
「誰でも歳を取れば身体機能は低下しますし、いつ、どんなきっかけで障害を持つようになるかも知れません。そう考えれば、そもそも特別視するということの無意味さが分かると思います。札幌のあるタクシー会社では車椅子で乗れるユニバーサルハイヤーを運行していますが、これは手を挙げれば一般の人もひろうことができます。特別ではなく、誰でも使える。この感覚が当たり前になっていくことが本当のバリアフリーなんですね」
 たとえば、どこでも車椅子が通れる通路幅を確保し、トイレや風呂の段差をなくす工夫をすれば、あらゆる人が利用できるホテルになる。身障者用とあえてうたう必要もないし、そういう場の利便性・快適性が支持されて人が集まり、経済的にも活性化する。今後は、そんな視点が間違いなくトレンドになる。井上さんは、そう読んでいる。
『きたふく』では昨年から“さまざまな人が地域の中で共に暮らせる環境づくり”という設立主旨に則って、ある調査業務をスタートした。学生、子育て中の主婦、高齢者、それに障害を持つ人たちなどが、自らの視点で地域の施設や商店、飲食店、交通機関などを調べて、それを地図に落とし込んでいくという試みだ。車椅子で利用できるレストラン、仲間とゆっくり話せる喫茶店、入りやすい書店……、そういった情報を共有化していくことで、地域を再発見するのが目的、という。
「まだ、トライアル段階ですが、地図を作成するための作業を異世代や障害のある・なしを越えた交流のきっかけにしたいという思いもあるんです」
 地域の中で、これまであまり触れあうことのなかった人たちに連帯感が生まれ、さらには集まれる場ができる。そして、それぞれが持つ人脈やネットワークの中から、誰かが必要とする情報やアドバイスが得られる。キーマンは、世話好きの商店のおばちゃんかも知れない。そんな環境、コミュニティが将来的にできていくことが理想だと井上さんは話している。
トイレ トイレ
<「特定非営利活動法人 北海道福祉住環境を研究する会」のホームページ> http://www.community.sapporocdc.jp/comsup/kitahuku/
<「福祉住環境コーディネーター協会」(有資格者による全国組織)のホームページ> http://www.fjc21.org/
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