アスリート・インタビュー●第2回 葦本祐二さん
チェアスキーヤー
葦本祐二さん
「それはソリでしょう、スキーではない」
と最初は思っていました。
チェアスキー01
シーズンには、年間約10レース
ミニバンを運転し札幌から全国へ
「周囲からはバカじゃないかっていわれましたね。仕事を辞めてまで競技に専念するなんてと。コーチもトレーナーもいなければ、公式大会で優勝してもスポンサードすら得られないマイナー競技。無理もないな、とは思いますが」
 チェアスキー。サスペンション機能の付いた金属製のフレームに、腰をかけるためのバケットシートと一本の板を取り付けた、下肢など肢体障害者向けのスキーだ。アウトリガー(先端に小さなスキー板が付いたストック)を操作して滑走する競技は、パラリンピック・アルペン競技の正式種目にもなっている。
 札幌に在住する葦本祐二(35歳)さんは、国内最高峰の障害者スポーツ競技大会・ジャパンパラリンピックで常に上位を伺うチェアスキー・レーサーだ。札幌市南区のスキー場、フッズスノーエリア(札幌市藤野野外スポーツ交流施設)でスキーインストラクターをしながら、オンシーズンには全国各地で開催される公式試合を転戦している。
「あまり知られていないのが残念ですが、チェアスキーの大会は年間10レースほどはあるんです。ただ、有数の雪国である北海道での開催は皆無。ほとんどが長野や会津など、関東近県ですね。これも残念なことです」
 遠征費用から大会参加費まで、ほとんどが自己負担。胸から下が完全麻痺の葦本さんは、移動には車椅子が必須であること、さらにチェアスキーという大きな“荷物”を運ぶ必要があることから、どの競技会にもフェリーを使い、自らミニバンを運転して会場に向かう。だから逆に不便はない、と葦本さんは話すが、冬期間の長距離ドライブは相当の負担となるはずだ。
事故で絶たれたジャンプ競技者生命
アルペン競技者として、冬山に復帰
 葦本祐二。ウィンタースポーツファンの中には、この名前を聞き覚えている人もいるかも知れない。もともとはジャンプ選手。高校を卒業して実業団に入り、日本代表として、ベテランの葛西紀明選手らとともに活躍した一流ジャンパーだった。
 ところが23歳の時、車を運転していて事故に遭い、頚椎損傷。その日を境に、胸から下が全麻痺となってしまう。ショックはもちろん、小さくはなかった。けれども、告知から二日後には新たな目標に向かうための、心の下地ができていたという。
「担当医から“葦本くんの身体は今の医学では絶対に元には戻らない。だから、そのことを悔やむのではなく、自分の身体の障害を自分なりに受け止めて、できることをやっていくしかない”といわれて。ああ、確かにそうだなと。それじゃあ、自分には何ができるのか。その選択肢にはやはりスポーツが入ってきましたね」
 そして、ジャンプ選手として付き合いのあったトレーナーから紹介されたのがチェアスキーだ。それまでは、車椅子に乗って行う競技としては普及度の高いマラソンに挑戦しようかと考えていたという。
「座って滑るなら、それはスキーではなくてソリじゃないか。最初はそう思い、あまり乗り気ではありませんでしたが、当時刊行されていた障害者向けスポーツ雑誌で競技写真を見てビックリ。すごい迫力だった。北海道にも競技者がいて、クラブを作ってチェアスキーの普及を進めていこうという動きもあり、さっそく参加して練習を始めたんです」
 ジャンプの競技者から見れば、ダウンヒルやスーパー大回転など、急斜面を猛スピードで駆け降りるアルペン競技は正気の沙汰ではないという。葦本さんも、まったく同じ感覚を持っていたが、やがて、そのスピードに魅せられていく。入院・リハビリを経て障害者対象の職業訓練校を卒業。事故からおよそ2年を経て、葦本さんは冬山に戻ってきた。
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「できない」という思い込みを捨てて
スポーツの素晴らしさを感じて欲しい
 最近になって、チェアスキーの指導を行うスキースクールや受入れを行うスキー場が見られるようになってきたという。たとえば札幌市では、葦本さんがインストラクターとして在籍するフッズスノーエリアなど数カ所で対応しているほか(予約制)、市の関連団体でチェアスキーの貸し出しも行っている。
「私がチェアスキーを始めた頃は、指導者もほとんどいなくて、長野パラリンピックなど色々な競技を観戦し、見様見真似で練習していました。当時に比べれば、ほんの少しですが始めやすくなっていることは確かですね」
 ただ、だからといって新たにチェアスキーをやってみたいという人は増えていない。チェアスキーに入門用の普及品といったものはなく、フレームとシート、板を合わせると軽自動車一台分ほどの価格になる。公式大会を目指す選手でもなければ、おいそれと購入できるものではない。道具がない。これも普及を阻む要因と考えられるが、葦本さんによると、もっと根本的な問題があるという。それは、スポーツに対する意識だ。
「まず、これだけの道具を使うスポーツ=競技という固定観念から、自分には到底無理と考えている人が多いんですね。興味があるなら、ちょっと借りて乗ってみればいい。そのくらいの気軽なノリで体験して欲しいと思います」
 チェアスキーに限らず、障害者スポーツに関する情報が不足しているという現状もある。それに、さまざまな障害を持つなかで、ましてや身体を動かすスポーツを行うには、一定の努力や訓練も必要になる。それは事実だが、自分にはできない、あるいは、できることだけやればいいという意識を少しだけ超える勇気を持って欲しいと葦本さん。思わず、その言葉に力がこもる。
「そこを一歩、超えられれば、きっと素晴らしい感動やワクワクする気持ちに出会えると思います。スポーツにはそんな魅力があるんです」
 競技会のなかには、障害のない人もチェアスキーに乗って出られるカテゴリーを持つものもある。ダウンヒルでは、80〜90キロものスピードで旗門をくぐっていく。その速度を目の当たりにすれば、障害者のスポーツという枠組みさえ忘れてしまうはず、と葦本さん。年明け早々の競技会を皮切りに今年もシーズンを迎えたなかで、今一番欲しいのはサポートしてくれるスタッフだという。
「若い女性だと、なおいいですね(笑)。もちろん、男女問わずいつでも募集中です!」
 そう言い残すと、アウトリガーでひと漕ぎ、あっという間にゲレンデを駆け降りていった。
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<参考サイト>
日本チェアスキー協会
http://www.chairski.jp
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