コエル・インタビュー コエルな人たち●第9回 斉藤さん
NPO法人 日本障害者ピアノ指導者研究会
北海道支部 支部長
遠藤 起代 さん
「ピアノパラリンピック」を通して、障害者への指導方法を高めるとともに、障害がすばらしい個性であることを伝えていきたい。
ピアノを習いたいと願う障害者と
指導に悩む先生の役に立ちたい
 2005年1月。年が改まって早々の9、10日の2日間。横浜みなとみらいホール(横浜市西区)が美しい、また個性的なピアノの旋律につつまれた。演奏者92名、うち20名は世界15カ国からこの日のためにやって来た。述べ800名の来場者が見つめたステージで演奏したのは全員、何らかの障害を持つ人たちだ。日本で、そして世界で初めて開催された『ピアノパラリンピック』(第1回ピアノパラリンピック in JAPAN)は多くの驚きと感動を見るものに与え、閉幕した。
「知的、精神の障害を持つ人たちをはじめ、手や指が欠損していたり、視覚や聴覚に障害があるなど演奏者の障害種別や程度はさまざま。そこで、それぞれが持つ能力を最大限に生かした演奏を行い、それを互いに賞し合う。ただし、技術を競い優劣をつけようということが主眼ではなく、国を超え、障害の内容を超えて交流することで見識を広め、音楽の楽しみを再認識するとともに、障害に合わせたピアノの指導ノウハウを蓄積しようということも、ピアノパラリンピックの大切な目的なんです」
 障害によって、ある意味欠けている部分があるからこそ、伸びる機能や感覚がある。そこを生かした演奏をするため、クラシックオリジナルに加え、それぞれに合わせたアレンジ、演奏方法を見つけ出し、表現する手助けを行う。「ピアノパラリンピックを主催するNPO法人日本障害者ピアノ指導者研究会のそもそもの趣旨はそこにあるんです」と、自身も障害を持ちながら北海道支部長を務める遠藤起代さんは話す。
同研究会が活動を開始したのは2001年(NPO法人認証は2006年)。元武蔵野音楽大学助教授の迫田時雄氏が、ハンディのある人たちへのピアノ指導を志し、自ら会長となって立ち上げた。北海道・恵庭市の自宅で20年にわたってピアノ教室を開いてきた遠藤さんだが、ある時、片手が不自由な女の子の指導を頼まれたのをきっかけに、研究会の活動を知った。
「私自身、障害者ですが、障害を持った子供にどう教えればいいのか、正直、迷った部分もあります。障害者を指導できる先生の紹介(ネットワークづくり)、指導方法などについての研究会の開催、それに全国で行われている障害者指導の状況や事例を伝える会報等の発行など、多面的な活動を行っている研究会の考えに賛同し、入会しました。2003年のことです」 
 とはいえ、支部長になるなど、考えてもいなかったと遠藤さん。研究会の活動を訴求し、自らも仲間づくりを進めたいと2004年に実施したセミナーの告知には、1日60件を超える予想外の反応があった。その半分は障害者へのピアノ指導に悩む先生、そして残りは“ピアノを習いたかった”という障害者本人からだ。
「とにかく、その反響にはビックリ。これは早急に基盤をつくり、ネットワークづくりや情報交換を進めないと、ということで、急遽、支部を設立することになったんです」
中学から始めたクラシックピアノ
きっかけは、M・ポルナレフ
 先天性二分脊椎症。脊椎の癒合が完全に行われずに奇形となり、脊椎マヒを引き起こすこの難病が、遠藤さんがもつ障害だ。下肢障害、排泄障害を伴い、その程度も決して軽くはない。
「腎不全などを併発すると命取りになる危険性があり、投薬や検査をきちんと行うことが必須。爆弾を抱えているような病気なのですが、私は実は薬も飲んでいないし、定期的な検査にも行っていないんですよ。研究会の活動をはじめ、やりたいことが先に立って、つい後回し。でもその気力が医療を超えるということもあるのかなと、最近は思うんですね」
 小学校は養護学校に通った。多動でやんちゃ。近所の同世代の子供に歩行障害を揶揄されて突っかかっていく、そんな“きかない”子だったと言う。中学校からは、キリスト教系のミッションスクールに入り、高校までを過ごした。
「少女マンガでミッションスクールに憧れて(笑)。その学校なら、入試さえパスすれば障害があっても普通に受け入れてくれたんです。早くからエレベーターを備えているような学校で。ただ、養護学校の勉強では不足気味なので、プラスアルファの学習が必要でしたが」
 遠藤さんがピアノを習い始めたのは、この中学校に入学してから。といっても、クラシックが特段好きだったわけではない。当時、シルヴィー・バルタンと並び、フレンチポップスのアイドルとして人気を集めたミッシェル・ポルナレフ。そのコンサートを見て、美しいピアノの音色に魅せられた。本人の言葉を借りれば、とにかく感動したという。
「彼はクラシックを学び、パリ音楽院に行った。私も同じところを目指し、あんなふうに弾けるようになりたいと。今思えば少女にありがちが憧れなんですが、それでピアノを習いたいと言ったら両親もピアノの先生も、妙に真剣になってしまって……。その力に押されて、今までやって来たという感じなんです」
 高校卒業後、昭和音楽短期大学ピアノ科(神奈川県)に進学。卒業後、4年間一般企業(保険会社の内勤)OLをして資金を貯め、24歳でピアノ教室を開いた。音大への進学は並大抵のことではない。そもそも、動機が“ミッシェル・ポルナレフ”だけに、練習がきつくなるにつれ“そこまでしなくても”という思いが、当の本人にはあったという。
「その年齢から音感が備わるわけでもなく、才能がないのは自分が一番、分かっていましたから、ほどほどでいいと思っていたんですが、何か一つに秀でていれば将来にプラスになる。障害があればなおさらという両親の気持ちも理解できて……」
 でも、そのお陰で今の自分がある。そう遠藤さんは話す。養護学校6年生の時に習った先生が音大出身で、色々と相談にのってくれた。中学受験のために知り合いの家庭教師を紹介してくれたのも同じ先生だ。音大受験のために全勢力を傾けてくれた故・ピアノの恩師。また、必要な足の手術を急ぐよりも、経過には気を配りつつ、将来のために動くことを優先させることを進めてくれた主治医。そして、音大での生活を支えてくれた公務員の父親と、清掃のパートをする母親(音大は費用がかかる)。
「大学の先生は最初、私が障害者であることでやはり指導方法に悩んだそうです。でも、対等に厳しく指導することが、その人を尊重することだと恩師に諭され、一般とまったく同じ指導をしたのだと、後から話してくれました。支えてくれた多くの方々の恩に報いるためにも、障害者を指導する先生達の役に立ちたい、そして障害者のための音楽家への道づくりを手伝いたいと願っています」
障害とはすばらしい素質があること
演奏活動を通じてその模範になりたい
 第2回のパラリンピックは2009年、カナダ・バンクーバーで開催される予定だ。音楽を楽しむこと。それが基本だが、一部、競技性も持たせている。種目にはAコース、Bコースの二つがあって、Aコースは予選が行われる。演奏課題は、開催地の代表的な音楽で、それを、それぞれの身体能力などに合わせてアレンジすることが求められる。技術の上手い下手だけでなくいかに優れた表現をするかが審査され、金、銀、銅賞と賞金が贈られる。ちなみに第1回の課題曲は日本の「さくら」。一方のBコースは曲目も演奏表現も自由。プロとして活躍するプレーヤーの後に、ピアノを習い始めたビギナーが演奏するなどカテゴリー分けもなく、各人の演奏の特長などから芸術賞、努力賞などの賞が全員に贈られる。
「第1回の時は、障害があっても、ではなく、障害があるからこそと言えるような素晴らしい演奏ばかりでした。どうやったらこんな演奏ができるのか、それを見せてもらうことが、私たち指導者にとって何よりの勉強。同時にこうして世界の演奏者が集まる場所に出ることは、それぞれの方の世界が、将来が広がるきっかけになると思うんですね」
 演奏レベルを知ることで、向上心を喚起したり、重い障害があっても華麗な演奏を繰り広げる姿に触発される。障害のあるなしに関わらず、大きな発見があるのがピアノパラリンピックと遠藤さんは話す。
 12月には第2回ピアノパラリンピックのデモンストレーションのため、アメリカ・ニューヨークに向かう。12月3日の国際障害者の日に国連本部でコンサートを行うほか、10日間にわたって各地で交流演奏する予定だ。5日は地元ジャズ・ピアニスト達の協力を得てカーネギーホールでも演奏会を開いて世界中にアピールする。ゲストとしてハービー・ハンコック、秋吉敏子等のジャズピアニストも登場する予定だ。
 軽い気持ちで始めたピアノ。それがいつしか周囲の夢となり、その重圧に両親を恨んだこともあったという遠藤さん。完全に本意ではなかったものの、苦しみも感じながら音楽を続け、ひとつの到達点に辿り着いた今、音楽が自分を選んでくれる、そんな感覚にとらわれることがあるという。
「望んでもなかなできないニューヨークでの演奏。意識しないでそんなチャンスが与えられるのは、音楽の方が選んでくれているんだと。これは、音楽家なら多かれ少なかれ抱く感情なんです。同じように、これまでの人生で、いつも道標となる音楽の師が現れましたが、研究会の迫田会長は私にとってまさにスペシャルな道標です。この出会いのお陰で世界が、そして自分の可能性が広がったことに深く感謝するとともに、今まで関わってきた方、そして両親にも本当に感謝の気持ちで一杯です」
 バイオリンのパートナーとのデュオ、アンサンブル、演劇の背景音楽。ピアノ教師以外に、自らの音楽活動も行っている遠藤さん。自らも含め、障害があることがマイナスイメージではなく、むしろすばらしい素質を持っているというプラスイメージの模範となれるよう自分を磨いていきたいと話している。
*研究会では現在、ピアノパラリンピック普及事業を展開している。
 ●迫田時雄会長のセミナーツアー
   2007年8月6日(函館)、7日(伊達)、8日(恵庭・札幌)、9日(旭川)
 ●シンポジウムとみんなの楽しいコンサート
   2007年10月8日・札幌大谷大学 大谷記念ホール

NPO法人 日本障害者ピアノ指導者研究会
http://ipd-piano.sakura.ne.jp/

同北海道支部
http://www.h7.dion.ne.jp/~piano77/

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