コエル・インタビュー コエルな人たち●第14回 | |
アイススレッジホッケー日本代表 伊藤 仙考さん |
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足がなければ腕を使えばいい。アイススレッジホッケーのように、軽くなった身体が逆に生きてくることもあるんだ。 |
第1ピリオド。ゲーム開始から約10分。味方の絶妙なパスに素早く反応した伊藤仙孝さんのスティックがパックを捉え、相手ゴールをついた。その後、第2ピリオドで1点を返されるも、最終ピリオドにベテランDFの須藤悟選手が粘りのシュートを決める。初回、伊藤さんの決めたゴールが試合を左右する結果となった。
「ゴール前に出て行くとパスが来たので、スティックを伸ばしたらうまいこと当たった(笑)。本当にそんな感じなんです。まだ、ルールも完全にはわかっていないような段階でしたから」
2007年1月13日、14日に北海道旭川市で開催された、ジャパンパラリピックアイススレッジホッケー競技大会。長野サンダーバーズ、東京アイスバーンズ、そして伊藤さんの所属する北海道ベアーズと八戸バイキングスの連合チームが参加してリーグ戦が行われ、ベアーズ・バイキングス連合は2位。2日目に行われたゲームでの、伊藤さんのこの1点が、やはり大きく貢献したかたちだ。とはいえ、伊藤さんはこの時、アイススレッジホッケーを始めてまだ2カ月あまり。
「フォーメーションも何もわからず、ただ指示どおりに動いていたら、たまたまゴールすることができた。自分が一番、驚きましたね。もちろん、うれしかったですが」
この試合の前年の春、伊藤さんは事故で両足を切断。それから、わずか半年あまりでアイススレッジホッケーを始め、初の公式試合。その運動能力と勘の良さ、それに、もちろんチームへの貢献度が評価され、日本代表選手に抜擢。13名のナショナルチームの一員として、3月28日〜4月5日にアメリカ・ボストンなどで開催されるアイススレッジホッケー世界選手権大会(2008 IPC Ice Sledge Hockey World Championships)への出場が決まった。ちなみに北海道から選ばれたのは、いずれもベテランの永瀬充選手(GK)、須藤悟選手(DF)、そして伊藤さんの3名のみ。それだけに“大型ルーキー”としての期待も高まっている。
2010年に行われるバンクーバーパラリンピックの出場権をかけた、熱い戦いが楽しみだ。
最低でも半年から1年は入院が必要と告げられたが、伊藤さんは3カ月ほどで退院してしまう。
「とにかく病院にいたくなくて、早く出してくれと(笑)。でも、退院して家に戻ると自分ではぜんぜん動けない。肝心かなめの上体、腕の力が弱かったんですね。それでリハビリができる病院に再入院。ただ、病院が与えてくれるリハビリメニューというより、ペットボトルに水を入れ、ベッドの上でダンベル代わりにするなど、勝手に筋トレをしていた方が多かったですね」
結局、そこも10日ほどで退院。その後、今度は義足の訓練を兼ねて再び入院するが、右足は大腿骨の上部を残すのみ、左に至っては骨頭から抜いてしまっている。義足を動かす手がかりがほとんどなく、抵抗ばかりが大きいこと。さらに、それまでの入院生活の中で手を使い這って歩くのに慣れていたこともあり、義足を使うことは止めたという。
「足の重量がない分、身体は軽いわけで、腕の力さえあれば困ることはないんですね。実際に、逆立ちして階段を上ったり、登山やスノーボードまでやる両足切断者の話を聞き、じぶんはまだまだだし、そんなふうになりたいと思っているんです」
さすがに最初のうちは、車椅子を操作するだけで精一杯だったと話すが、事故から2年になろうとする現在は、車椅子を片手で持ち上げて車に乗り込み、どこへでも行く。万が一、車椅子が転んでも腕だけで、そう苦労もなく起き上がれると自慢するほどだ。
「清掃の仕事に就く前は4年ほどトラックを運転していました。荷物の積み下ろしを日常的に行うなかで、今使っている上体の筋肉のベースができていたのかな、とも思っています」
何が幸いするのかわからない。伊藤さんはそうつぶやいた。
「リハビリで入院していた病院のPT(理学療法士)の先生が、同じ旭川在住で日本代表の永瀬さんと知り会いだったことが、自分がアイススレッジホッケーを始めたきっかけ。永瀬さんを紹介してもらい、練習に参加してみたら、思っていたよりも滑ることができて楽しいなと。それから、毎日のようにアリーナに通って滑る練習をしていました。2カ月も経たないうちに試合でゴールを決められるなんて、思ってもいませんでしたけどね」
スピードがある。これが伊藤さんが当初から注目されていたポイントだ。上体の強さに加え、両足がないことで軽く、滑走抵抗が少ない。同時に、体重が点に近い形でかかるため、小回りが利き、体勢の立直しが早いなど、まさにアイススレッジホッケーにはうってつけの“体型”というわけだ。両足切断の選手は、実はあまり多くないのだという。
「たとえば、脊椎損傷の方などと比べれば、自分なんかぜんぜん軽いと、最近は思うんですね。確かに足は完全にないけど、それ以外は健常なわけですからね。アイススレッジホッケーを始めて特にそう感じるようになったのですが、考えてみれば、事故の直後も今でも、大変だとか落ち込んだということはなかったですね。足は絶対に戻っては来ないんだし、ないものを思っていても仕方ない。上体を鍛えて、腕の力をつければ何とかなるじゃない、とね」
清掃車に挟まれている段階で、覚悟ができていたからと伊藤さんは言うが、家族に心配をかけたくないという思いも実はあった。ご両親は当然として、伊藤さんには奥さんと当時1歳の女の子がいた。不慮の事故とはいえ、家族に迷惑をかけ、心配をかけてしまったという気持ちがある。
「だから自分のことは自分でやるし、家族とでも一人でもどんどん外に出ていく。普通の生活をすることが大事だと思っているんです。やってみれば大抵のことはできるんですね。ずっとそんなふうに前向きでいられたのは、やっぱり身近な人の支えがあったから。それは強く感じています」
同時に、伊藤さんに大きな転機を与えたアイススレッジホッケー。ジャパンパラリンピック競技大会が昨年に続き、旭川市で行われる。今年は、2006年トリノパラリンピックのトップ3であるカナダ、ノルウェー、アメリカが参戦し、3日間にわたってリーグ戦を繰り広げるほか、国内チームのクラブマッチ戦も行われる。
「海外の強豪チームの選手は身体が大きいので、小さくて軽い自分なんか、飛ばされてしまうかも(笑)。技術力を上げて、スピードを武器にゴールを狙いたいですね」
チェアスキーやスノーボードなどのウィンタースポーツにも挑戦したいと話す伊藤さんだが、「当面は、アイススレッジホッケーのテクニックを磨くことを最優先に取組むつもりです」。
百聞は一見に如かず。まずは、今月の試合に足を運び、伊藤さんの活躍、そして迫力あるゲームを観戦したい。