コエル・インタビュー コエルな人たち●第15回 増田さん
全盲のヴァイオリニスト/ミュージシャン
増田 太郎 さん
種は自分の中にある。色々な人との出会い、そこで生まれる想いが、それぞれの可能性を広げてくれるんだと実感しています。

全国的に暖かいって、天気予報では言っていたんです。でもなぜか、ものすごい風で。海風です。しかもステージに立っている僕の方に、まともに吹いてくる向かい風。途中からは雨も混じってきて。ギタリストは譜面台が飛ばないように足で押さえる、僕のヴァイオリンの弓は持っていかれる。聴きに来てくれた地元の人たち----子どもから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、毛布を被ってね。でも、そんな荒れた天候なのに、誰一人、帰らない。熱かった。盛り上がった。一曲歌い終えるごとに大きな拍手、「来てくれて、ありがとう!」って声まで飛んできて。アンコールの曲が終わってステージを降りたら、みんな駆け寄ってきて握手ぜめ。冷たい風雨のなかに長時間、座っていたのに、どの手もとても温かいんです。みんな笑顔で。生きている力強さ、あふれる生命力がビシビシ伝わってきました。まだ、仮設住宅で暮らしている方々も多く、倒壊した建物や地割れが、生々しく残っていた頃です。僕にとって、忘れられない経験の一つになりました。

 2007年3月25日、石川県輪島市の沖合いで発生した、能登半島沖地震。死者1名、負傷者358名を出し、全・半壊2,416棟、一部損壊を合わせると3万棟にも及ぶ家屋に被害を与えた。全国から駆けつけ、2カ月にわたって復興支援に尽力したボランティアの活動が一つの区切りをむかえた5月下旬、その解団式が行われた。吹き荒ぶ向かい風のなか、増田太郎さんが演奏したのは、式典のために用意された屋外特設ステージ。セレモニーが終わり、特別イベントとしてのコンサート。あいにくの天候のなか、しかも小さくない痛手を負ったはずの人たちが、熱烈な歓迎とともに、笑顔で音楽をたのしんでくれている姿に、大きな感動を覚えたと増田さんは話す。 

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 僕は、人と出会いたい、という想いから音楽をやっています。全国のあちこちに出かけ、いろいろな場で、さまざまな人たちと出会いますが、いつも想いは同じ。この仕事をしていて良かったと感じる瞬間です。

 5歳の頃からヴァイオリンをはじめた。高校時代にはクラシックに親しみつつ、バンドを組んでギターを弾き、作曲・編曲も手がけた。ピアノを演奏しヴォーカルもこなす。将来は音楽の仕事に就きたいと、早い時期から考えていた。現在は、オリジナル曲によるコンサートに加え、ヴァイオリニストとして、森山直太朗さんをはじめ、さまざまなアーチストのレコーディングに参加。さらに「講演ライブ」で日本中を巡っている。「講演ライブ」というのは、自治体や企業、学校などを訪問し、自らの体験やエピソードとともに、楽曲を演奏するスタイルのライブ。学校の記念事業、自治体主催の芸術祭など、シチュエーションに合わせた“講演”を行うが、軽妙なトークとアグレッシブな演奏が聴くものに感動と、そして“驚き”を与える。 増田さんは生まれつきの弱視で、20歳の頃、視力を失った。ただ、ステージに立つ姿から、その片りんは伺えない。

 能登もそうですが、僕たちはよく、震災で被害に遭った方々を“被災者”と呼びます。講演ライブで伺う中学校・高校では、“今どきの10代”という言い方をよく耳にしますし、また、僕のように視力がなければ“目の見えない人”となる。それはある意味、間違いではないと思いますが、人は皆、それぞれ違うし、色々な「私」がいる。僕は自分の好きな音楽をやって、聴いてもらって、それで楽しんだり一緒に笑ったりしたい。それが僕の生き方で、そういえばそんな自分はたまたま目が見えないんだよねという感覚、と言えばいいかな。この順序というのはとても大事だと思うんですね。音楽に限らず、そんなふうに人と向き合うことこそが、本当のバリアフリーではないでしょうか。

 「こんなに楽しそうな大人を、初めて見ました」。ある中学校での講演ライブの後、増田さんのホームページへ寄せられた感想メールに、こんなひと言があった。増田さんは、ヴァイオリンを弾きながら歌う、という独特のスタイルで演奏する。のけぞってヴァイオリンを弾きまくり、気持ちを込めて歌い、元気なトークを繰り出す。中学生くらいだと、親、先生のほか、わずかな大人としか接触がない。それが、いわば社会のすべてだ。そんな彼らの前に現われる、何だか妙に楽しそうな演奏家。終演後に届くメールからは、新鮮な驚きを得たようすがうかがえる。増田さんは、こうしてライブの後に送られてくる感想メール、そこに綴られた想いをとても大切にする。ひと言ひと言が、自分の世界を広げてくれると話す。

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 感想メールは、講演ライブを行った中学校・高校の生徒や保護者の方々、そして先生からもたくさんいただきますが、うれしいと同時に、いつもスゴイなって感じるんです。僕のライブをきっかけに、僕が想像もできないような考えや想いをもってくれる。そしてそこから、僕自身が気づかされることも、たくさんあるんです。

 石川県のある高校で演奏した時は、ヴァイオリンを習っていたけれども、壁に当たって止めてしまったという男子生徒からメールが届いた。「ヴァイオリンの先生からいつも言われていた“心を込めて弾きなさい”という意味がわからなかった。でも、増田さんの演奏を聴いて、その意味がわかった。これからまた、楽しんでヴァイオリンを弾いていきます」。

 茨城県の中学校では、演奏を終えた僕の控え室にやって来た女子生徒の一人が「増田さん、私、明日からもう学校を休みませんッ!」と叫んでいました。僕がライブのなかで「学校休むなよッ」と言ったわけではありません。でも、ライブという時間が自分自身と向き合う「きっかけ」になってくれたんじゃないかと思うんです。

 講演ライブは学校だけではない。最近は、高齢者施設などでも演奏する機会が増えてきた。東京都内の、高齢者マンションで演奏した時の話。「ずっと部屋にこもっていることが多かったご婦人が、(増田さんのライブの後で)明日、銀座へ行きたいと言っているんです」こんなメールがスタッフから届いたという。

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 種<たね>は自分の(その人の)中にある。僕は、そう考えているんです。誰かに何かをしてあげた、してもらったからではなく、一つの出会いをきっかけに、その人の中の種が花開いていく。僕にできることは、演奏し、おしゃべりし、楽しい時間を作り出すこと。さらに、それを“続けること”が何より大切だと思っています。あの時に出会った、あの“彼”はまだ歌っている。今も色々な出会いをしている。それなら、僕も、私も頑張ってみようかなと思ってもらえるかも知れない。だから、今僕は何をしているか、どんなことを考えているかを常にホームページで発信しています。そんなつながりを通して、いつかまた、再会したい。再び出会う喜びを分かち合い、成長した姿を確かめ合う。そんな“仲間”を日本中に増やしていきたい、それが僕の夢なんです。

 そんな、増田さんの「ヴァイオリンを弾きながら歌う」というスタイル。これは実は、高校時代の先輩のアイデアから始まったものだという。

 弾き語りをするカッコイイその先輩に憧れ、一緒に演奏した時に、「ヴァイオリンを弾きながら歌うと、きっと盛りあるぞ」と言われて、それ以来です。これも言ってみれば出会いだし、僕の中にあった種が開花したんですね。

  成人に近づくにつれて、徐々に視力を失っていった増田さん。けれども、弱視ということで、それまでずっと心配をかけてきた両親の気持ちを考え、明るさの違いしかわからない状態になるまで、あたかも見えるかのように装っていた時期があるという。「見えないことによる不便はない」と話す増田さん。だが、視力に障害があることが、増田さんの人を思いやる感性、さらに人との出会いを何よりも大切にする想いを一層助長したという部分はありそうだ。増田さんの言葉。

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  「人の生きざま、そして自分の生きざま。それが触れあうことで、お互いの可能性、新しい道が開け、広がっていく。世界は広いんだ。そう感じるだけで、ずいぶんと勇気が湧いてくると思いませんか?」

ぜひ、講演ライブに呼んで欲しい。また、いつか海外でも演奏したいと増田さん。年齢・性別、さらに国境を越えた出会いからは、どんな可能性が生まれるのだろう。 全盲のヴァイオリニスト増田太郎----そういえば、そうだった。でも、それがなにか?

■増田太郎さんのホームページ
http://tarowave.com/
http://tarowave.com/k/(携帯用)
*ホームページでは、増田さんの楽曲がダウンロードできるほか、「講演ライブ」の依頼なども受付けている。
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